【医者が教える】高齢者の在宅医療‐通院がつらくなったとき

高齢で通院が難しくなっても「在宅医療」という選択肢がある

多くの職種、多くの人が「在宅医療」に取り組み、患者さんやその家族を支えています

「在宅医療」について、ぜひ知ってほしい

 はじめまして。在宅医療専門「祐(ゆう)ホームクリニック」の院長の武藤真祐(むとう しんすけ)です。日々、主に高齢の患者さんのご自宅に伺い、必要な医療等の支援を行っています。

 現在日本は高齢化率22.7%(平成21年現在)、10人のうち約2人が65歳以上の高齢者という高齢社会ですが、この傾向はさらに進み、2055年には高齢化率40.5%になると推測されています。そんな中、国民の約9割は「最期は自宅で過ごしたい」と望んでいますが、実際には8割の方が病院で亡くなっています。介護保険制度などにより、在宅で介護サービスが受けられることは知られるようになりましたが、「在宅医療」についてはどうでしょうか?

 「在宅医療」について具体的なことを知らない方や、少しは知っていて利用したいと思うが、実際にできるのか不安な方など多くの方々に、ぜひ在宅医療について知っていただきたいと思います。「Dr.MUTOの在宅医療講座」では、毎回具体的な事例(ケース)を紹介しながら、在宅医療とはどのようなものなのか解説していきます。なお、ケースの登場人物の名前は仮名であり、個人が特定される内容は変更しています。

通院がつらくなってきたミツエさん(76歳)のケース

 律子(48歳)は、通勤のため地下鉄の駅に向かっていた。さわやかな朝だというのに、気持ちは晴れない。というのも、義母ミツエのことが気がかりだからだ。
 ミツエは今年76歳。4年前に夫をがんで亡くし、今は息子の紘一(51歳)とその妻である律子とともに暮らしている。元々心不全の持病がある上に、2年前に転倒し右大腿骨骨折。完治までの間一日中病院のベッド上で過ごしたせいですっかり下肢が弱り、今では一人では立ち上がることすらできない。
 律子は日々、ミツエを献身的に介護してきた。仕事も短時間労働とし、朝晩の食事や排泄の介助はもちろんのこと、週2回は、夫と協力しての入浴を欠かさなかった。さらに、毎日1回のホームヘルパーによる食事介助と、週に2回の訪問看護師による便通コントロールがミツエの生活を支えていた。それに加え、月に2回は介護タクシーを使って病院に通院し診てもらっていたが、ミツエは「病院に行くのはきつい。体が悪くなってもずっと家にいたい」と、事あるごとに口にするようになった。

 そんなミツエが昨日夕方、発熱した。38.2度。はぁはぁと粗い息をし苦しそうだ。律子は慌てて病院の主治医に連絡するも不在。近所の診療所ももう閉まっている。律子は動転して訪問看護師に連絡をしたところ「まず体を冷やしましょう。様子が悪化するようでしたら医師に相談しなくてはなりません」と言われ、そのやり方を教わった。ミツエのことをよく知っている専門家に相談したことで、律子は冷静さを取り戻し、言われた通りにして様子を見ることにした。そして朝、熱は37.5度。「完治ではないものの回復傾向にある」、そう判断した律子は、看護師に訪問を依頼した後、睡眠不足のまま、いつもより遅めに職場に向かったのだった。

 「ミツエは最近体調が不安定だが、そのたびに救急搬送するのでは、大変だ。通常の診察でも、そのたびに介護タクシーを頼み、長い時間待つのでは負担が大きすぎる。『ずっと家にいたい』とミツエはいうが、入院させたほうがいいのだろうか……」。疲れた頭でぼんやりと考えていると、携帯電話が鳴った。ミツエのケアマネジャーで看護師の中山からだった。「律子さん、昨日は大変でしたね。訪問看護師さんから今報告がありました。容態は落ち着かれているようで、ジュースも召し上がったそうですよ」。いつもの温かい穏やかな声を聞き、安堵感が胸に広がるのを感じる。律子がお礼を伝えたところで、中山が切り出した。「ところで律子さん、ミツエさんには医療が必要ですが、それは必ずしも今のような大病院への通院が最適のように思いません。律子さん、在宅医療について考えてみませんか」。

 「在宅医療?」律子は戸惑った。「昨夜のように何かあったらお医者さんが来てくれるのか。立派な設備がある病院を受診したほうが安心なのではないか。もし自宅で医療を受けるとしたら、どんな準備が必要なのか。うちでも大丈夫なのだろうか……」、戸惑う一方、ミツエの言葉「ずっと家にいたい」が頭をよぎる。考えたくはないが、ミツエはもうそんなに先が長くないだろうと、律子は感じていた。ならば、そのミツエが口にする唯一の望みを叶えてあげるべきではないか。律子は即答できないまま、夕方中山に会う約束をして電話を切った。

 中山は、約束の時間に自宅へ来た。「律子さん、今日はミツエさんの今後の療養について、相談しに来ました」。中山はゆっくりと話し始めた。
 中山は、ミツエは持病の心不全のほかにも複数の病気を併せ持つため、服用する薬の種類が増えていること、その副作用もあるのか、ものを飲み込む力が落ちており食事の量が減っていること、そのため身体機能や意欲も低下し活動の範囲が狭まっていることなど、ミツエの心身の衰えが増していることを指摘した。そういった複合的な要因で、しばしば発熱すること、痰を吐き出せずに気道に絡まりいつもゴロゴロいっていること、栄養不足や脱水症状がみられること、下痢や便秘をくり返していること、頻繁ではないがうつ症状や物忘れといった症状が出現し始めていることなども指摘した。

 「高齢な方の心身機能は、日に日に低下していきます。ですから、日常的に心身の様子を把握し、経過的に診てもらってお薬の処方や治療を行ってもらうこと、そして何かあったときには、早朝でも深夜でも相談ができる、あるいは診てもらえるようなお医者さんがいるのが、ミツエさんにとってもご家族にとっても良いことではないでしょうか」「今の不安定な状態では入院もやむなしといった判断をされるかもしれません。しかしミツエさんは、ご家族と一緒に住み慣れた我が家にいたいと願っておられます。この想いのために、ご家族のサポートに加え、在宅医療チームによる医療的支援を受けてはいかがですか」。
 「ずっと家にいたい」――この言葉が、ちょうど帰宅した夫の紘一とともに中山の話をじっと聞いていた律子の背中を押した。「母には、住み慣れたわが家で自分らしい人生を送ってほしいと考えています。在宅医療をお願いします」。中山は、にっこりほほ笑んだ。「律子さん、わかりました。一緒にがんばりましょうね」。

在宅医療の制度・体制は整いつつある

 健康なときには考えにくいのですが、年を重ね医療を必要とする時期を迎えることは、誰にも訪れることです。そのときに「自分はどう過ごしたいのか」ということは、その方の人生において大変大切なことです。ここには主に二つの意見があります。それは「住み慣れた自宅で家族とともに過ごしたい」「家族や周囲に迷惑をかけたくないから病院や施設に入りたい」というものです。いずれの場合も「自宅で過ごしたい」というのが本心であるということは、統計でも明らかですが、現実的に難しいとお考えになる方も多いことが分かります。

 今回のケースは、献身的な家族がご本人の希望のために不安ながらも「在宅医療」を選択したケースでした。これは理想的なケースであり、実際には不安や負担感から、在宅医療に一歩踏み込めない場合も多くあります。しかし近年、在宅医療の制度や体制は急速に整いつつあります。主に在宅医療医師や訪問看護師、病院の医師や看護師等の医療関係者、ケアマネジャーやホームヘルパーなどの介護関係者、そのほか行政やボランティアなど、地域によって多少差はありますが、多くの方々が在宅医療に取り組み、患者さんとそのご家族を支えています。

 次回は、在宅医療の主な対象疾患と可能な医療行為について解説します。ご自身の、またご家族を始めとした大切な方の療養の選択肢として、ぜひ知っていただきたいと思います。

(編集・制作 (株)法研)

【執筆】
武藤 真祐先生


在宅医療専門 祐ホームクリニック 院長
NPO法人ヘルスケアリーダーシップ研究会 理事長 
1996年東京大学医学部卒業。2002年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D.)。早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程修了(MBA)。東京大学医学部附属病院、三井記念病院にて循環器内科、救急医療に従事。診療所にて在宅医療にも従事する。 2004年より2年半、宮内庁で侍医を務めたのち、戦略系コンサルティングファームマッキンゼー・アンド・カンパニーにて2年間コンサルティングに従事。その後、医療の側面から社会に貢献したいと在宅医療専門クリニック「祐ホームクリニック」を開設、現在に至る。医学博士、日本内科学会認定内科医、日本循環器学会循環器専門医、米国医師資格試験合格、米国公認会計士、MBA。

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