【医者が教える】高齢者の在宅医療‐ある末期がん患者さんの例

在宅で広く行われている緩和医療ほか、可能な医療処置を紹介

最期の日々をわが家で自分らしく過ごしたい人とその家族を支援する看取りの医療 ……末期がん患者さんの例

最期の日々はわが家で自分らしく過ごしたい

 「できれば最期までの日々は、思い出深いわが家で、自分らしく過ごしたい」在宅医療は、そのような患者さんの想い、ご家族の想いから始まります。しかし「自宅で急に容態が変化したときにはどうすればいいのか」など不安も大きいことと思います。患者さんが終末期であれば、なおさらです。そこで今回は、末期がんの患者さんを在宅医療で看取ったケースを紹介します。なお、ケースに登場する患者さんと家族の名前は仮名であり、個人が特定される内容は変更しています。

末期がんで治療を中止した久代さん(70歳)のケース

 久代(70歳)は2006年に直腸がんを発症、手術を行うもその後肺に転移。呼吸苦に悩まされながら、抗がん薬治療を続けていた。その後、肝臓および骨へ転移。背部痛・腰痛に苦しめられる日々を送っていた。久代の長女理穂(40歳)は、回復の見込みが少ない苦しい治療を続ける母の姿を、苦しい思いで見ていた。入退院をくり返しながら4年の歳月を経て、二人で出した結論は治療中止。最期を家族とともに過ごすことを選択した。

 2010年9月、離れて暮らす久代を呼び寄せ介護するため、理穂は東京の自宅マンションのそばに部屋を借り、ケアマネジャーの伊関とともに準備を始めた。まず、療養のためのベッドを準備、移動のための手すりや車いすを準備した。さらに呼吸苦に配慮してポータブルトイレも導入することにした。これらはすべて、介護保険の適応となる。そして準備が整った翌日には、在宅医療の医師の訪問を受けるよう手配を整えた。

 「末期がん……、しっかりやらねば」。在宅医の武藤(39歳)は、初めて訪れる患者宅へ向かう車の中で、前医からの診療情報を見ながら身を引き締めた。久代の家へは15分ほどで到着。緊急な場合もすぐに対応できることを確認し、マンションの呼び鈴を鳴らした。

 久代は静かに、真新しいベッドの背を起こし座っていた。痛みがあるであろうが、新しい生活の始まりだからか、毅然とした表情だ。身長153cm、体重47kg。ショートカットの小柄な方だ。身体機能は弱っており、移動はつかまり歩きがやっと、食事はリンゴ2切れ程度と少量であった。
 「痛みがつらいのです」。久代の訴えは、この1点であった。久代は治療を中止し、現在痛みの管理のため麻薬を使用している。1日3回の麻薬内服をベースに、それでも痛む場合の頓服用の麻薬の使用である。以前は1日4回程度であったものが、最近では1日9回に増えていた。

 武藤は、久代の様子を注意深く見ながら、娘の理穂とケアマネジャーの伊関に丹念に話を聞いていった。病気の発症からの経緯や生活の状況、たとえば食事や排せつ、睡眠、移動、清潔(入浴など)、久代の喜びなどについて、また久代や理穂の想いと決意、現在訴えたいことや望みついても聞いていく。これは、武藤が久代の生活を支え、そう長くはないであろう久代の余生を久代らしく過ごしてもらうために、医療や今後の対応方針を決めるのに大変重要なプロセスなのだ。

 1時間ほど一通りの話を聞いた上で、武藤は医療の方針を決めた。まずやるべきことは、痛みのコントロール強化であった。痛み止めにはベースとなる薬剤の量を増やし、頓服でのレスキュー頻度を下げるよう試みることとした。呼吸苦に対しては在宅酸素を導入すること、また今後自分で食事がとれなくなったときには、左鎖骨下に留置している皮下埋め込み型ポートを使って栄養投与を開始することも決めた。
 「久代さん、また来ますね。いつでも私たちがいますからね」。武藤は、久代がうなずくのを見て部屋を後にした。

 帰院した武藤は、久代のための酸素濃縮機・カニュラ、麻薬、栄養剤などの手配を次々と指示した。スタッフがテキパキとそれらを発注し、いずれも速やかに手配できそうだ。しかし久代の状態は、いつ何が起こってもおかしくはない。これから起こり得る状態変化に対して、久代や理穂の苦痛を少しでも和らげなければならない。そして久代と理穂が「家に帰ってきてよかった」と思えるようにしなくてはならない。武藤はこれからの久代の状態変化を予想しながらその対応を考えていた。

 それから1週間後、久代は発熱した。採血の結果、感染の疑いがあり、抗生薬投与が始まった。呼吸は相変わらずゼイゼイと粗い。気道の確保のため、気管支拡張薬とステロイド薬の点滴を実施、酸素の量も1リットルから2リットルに上げた。さらに飲み込みができなくなったことから、痛みをとる麻薬を内服から貼り薬に変更した。
 そして翌日、「久しぶりによく眠れたようです。病院でもこんなことはありませんでした」との理穂からの連絡に安堵しながら、前日同様点滴を継続すべく、武藤は久代宅に向かった。そしてそれから3日間、同様の医療処置を行った。「もう、こんなふうに娘と家で過ごせることはないと思っていました。先生、家はいいですね。」弱ってはいるものの、穏やかな表情で、久代はつぶやいた。

 4日後、「久代が苦しんでいる」と理穂から連絡が入り、武藤は駆けつけた。久代の呼吸はゼロー、ゼローと以前よりさらに粗い。酸素の量を5リットルに上げるとともに、ステロイドを増量、また痛み止めも増量した。一通りの処置を終えベッドの脇の畳に座った武藤に、久代は細い声で言った。「先生、死ぬのも楽じゃないね。こんなに大変なのだから、家に居られてよかった。娘と一緒に居られてよかった」。武藤はただ、両手で久代の手を握っていた。

 その2日後の深夜1時、緊急電話が鳴った。久代がトイレのために動いたことで、呼吸苦が増強したようだ。酸素濃縮機をもう一台手配し10リットルの酸素量とした上で、気管支拡張剤を投与した。心なしか表情が楽になったようにも感じたが、熱は37.5度、苦しげな喘鳴は続いている。武藤は、気道狭窄を確認し、理穂に言った。「久代さんがお会いになりたい方を、集めて上げてください」。

 明朝、診療所は慌ただしく動いていた。久代の呼吸苦を緩和するための持続皮下モルヒネ注射液を準備し、また身体を動かさなくてよいよう尿道に挿入する管を用意した。
 9時、まず看護師が訪問した。ベッドを60度ほど起こしたほぼ座位に近い状態で、久代はいた。久代を楽にするために尿カテーテルを挿入すること、さらに効果的な薬の投与が始まることを説明する。「久代さん、きっと楽になります」。看護師の声かけに対し、「うんうん」とうなずき目を閉じる久代。処置を終えた看護師は、「いつでも連絡してください」と声をかけ、居室を後にした。

 同じ日の18時30分、「母が“武藤先生、武藤先生”と言っているのです。来てくれませんか」。理穂から連絡があった。19時、武藤は久代の居室にいた。「久代さん、いかがですか。お薬で少し体が楽になっていますか」。今、これ以上行う医療行為はない。武藤は畳の上に座り、ただ久代の手を握っていた。どのくらいの時間、そうしていただろうか。武藤は久代の手を両手で包み、言った。「久代さん、また明日来ますね、またね」。久代は武藤のほうに顔を向け、ほほ笑んで、強くうなずいた。武藤が初めてみた久代の笑顔であった。そしてそれが、生きた久代を見た最期になった。20時5分、娘に看取られながら久代は静かに息を引き取った。

在宅医療では緩和医療ほかさまざまな疾患に対し医療処置を行うことができる

 今回のケースのように、最期のときに苦しみを伴うケースは、割合は少ないながらも遭遇します。終末期には、痙攣(けいれん)、呼吸困難を始め、身の置き所がないような、どうにもいられないような症状やせん妄などが見られます。がん疾患の場合には、さらに痛みも加わる場合もあります。そういった場合にそれらを和らげる医療(緩和医療・緩和ケア)は、在宅でも広く行われています。そのほか、在宅医療では主に以下のような疾患・症状に対して、医療処置などを行うことが可能です。(医療処置などの範囲は、診療所によって異なりますので、在宅医療を導入する場合には、事前に診療所に相談されることをおすすめします)

●在宅医療の対象となる主な疾患・症状
・脳血管障害後遺症、多発性脳梗塞・脳血管性認知症
・アルツハイマー病およびその他の認知症
・老人性運動器疾患(骨粗しょう症、圧迫骨折、変形性関節症、 大腿骨頸部骨折)および関節リウマチ
・神経難病
・悪性腫瘍末期
・慢性呼吸不全
・慢性心不全
・慢性腎不全など
・合併症を伴った糖尿病
・じょく創
・老衰  など

●在宅医療で行われる主な医療処置
・安定した呼吸のために……在宅酸素療法、在宅人工呼吸器
・栄養摂取のために……胃ろう管理、経鼻経管栄養、腸ろう管理、在宅中心静脈栄養
・排泄のために……膀胱留置カテーテル、ストマケア
・苦痛の緩和のために……麻薬処方、腹水排液、携帯型精密輸液ポンプ管理
・身体機能向上のために……リハビリテーション指導
・床ずれ治療のために……皮膚科専門医によるじょく創処置

(編集・制作 (株)法研)

【執筆】
武藤 真祐先生


在宅医療専門 祐ホームクリニック 院長
NPO法人ヘルスケアリーダーシップ研究会 理事長
1996年東京大学医学部卒業。2002年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D.)。早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程修了(MBA)。東京大学医学部附属病院、三井記念病院にて循環器内科、救急医療に従事。診療所にて在宅医療にも従事する。 2004年より2年半、宮内庁で侍医を務めたのち、戦略系コンサルティングファームマッキンゼー・アンド・カンパニーにて2年間コンサルティングに従事。その後、医療の側面から社会に貢献したいと在宅医療専門クリニック「祐ホームクリニック」を開設、現在に至る。医学博士、日本内科学会認定内科医、日本循環器学会循環器専門医、米国医師資格試験合格、米国公認会計士、MBA。

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