水俣病とはどんな病気か

 水俣病は、熊本県水俣湾周辺で1956(昭和31)年5月に、新潟県阿賀野川流域で1965(昭和40)年5月に発見されたもので、四肢末端の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄(きゅうしんせいしやきょうさく)、中枢性聴力(ちゅうすうせいちょうりょく)障害を主要な症状とする中枢神経系の疾患です。
 1968(昭和43)年にそれぞれチッソ株式会社、昭和電工株式会社の工場から排出されたメチル水銀化合物が魚介類に蓄積し、それを経口摂取することによって起こった中毒性の中枢神経系疾患であるという厚生省(当時)の見解が出されました。
 英国の種子殺菌剤製造工場でメチル水銀化合物による職業性中毒4例が発生し(1937年)、うち1名が15年後に死亡しましたが、ハンター、ボムフォード、ラッセルによって、その臨床症例と病理組織像の報告がなされていました。
 この報告が水俣病の原因物質を明らかにする糸口になり、2009年3月末までに、八代海沿岸で2269名、阿賀野川流域で693名が水俣病患者として認定されています。
 1970年代前半以降、新たに水俣病が発生する状況にはないと考えられています。水俣病患者対策としては、1969年に公害健康被害者に対し、医療費や通院費などの給付を行う制度が実施され、また、1995年の政治解決や、2005年の保健手帳による給付が行われています。
 さらに訴訟最高裁判決(平成16年)などにより、総合対策医学事業の拡充が行われ、現在多くの人が医療手帳や保健手帳を受けています。

原因は何か

 メチル水銀化合物(CH3HgCl)が、水銀触媒法によるアセトアルデヒドの製造工程でHgSO4から副生され、その化学工場からかなりの量が持続的に流出したことが主な原因です。
 流出して水域を汚染し、水域中でいったん超希薄濃度にまで薄められたメチル水銀が、水中諸生物間の食物連鎖を経由することにより魚介類の体内で高度に再濃縮され、その有毒化した魚介類を繰り返し大量に摂取して発症しました。
 魚介類が有毒化するまでに高濃度のメチル水銀を蓄積しながら、外見上は何の異常も示さなかったことが、人が魚介類を食べた理由です。
 もしメチル水銀が魚介類に毒性を示して死んでいたならば、人に水俣病は起こらなかったでしょう。メチル水銀の化学的特性として生体に吸収されやすく、生体内で分解されにくいということが、高度の濃縮蓄積を起こした大きな理由となりました。
 魚介類での高度の濃縮が起こらなければ、水俣病は起こらなかったであろうといえます。原因の解明は、熊本大学医学部を中心に精力的に進められました。

症状の現れ方

 主要な症状は、四肢末端を中心とする知覚障害、小脳性運動失調、求心性視野狭窄、中枢性聴力障害および構音障害(言葉の発音の障害)です。また、母親が妊娠中に摂取したメチル水銀が胎盤を経由して胎児に移行、発症したのが胎児性水俣病です。脳性小児麻痺に似た症状を来す胎児性の水俣病も、50名以上が確認されています。

検査と診断

 水俣病の診断は、主要な症候がそろっている場合は容易ですが、不全型や軽症の場合は困難なことが少なくありません。そのため認定に混乱を来しています。成人、小児、胎児の水俣病像を病理学的に比較すると、神経細胞の障害部位の広がりは、胎児∨小児∨成人の順になっており、脳の発育過程の早期にメチル水銀蓄積を来すほど広範な障害を起こします。